2018(平成30)年8月6日(月)









さいきんはキャンプ場通いが続き、
マンガもBライフも
あまりやっていません。



だから、

こういう時は
トンデモ歴史ですよ(^^)


今回は、
キリスト教の圧力と
哲学者たちの闘いです。


さて。


なぜこんなにも
キリスト教は人を
縛るのでしょうかね?


キリスト教の縛りは
大きく分けると
2つになります。


ひとつめは、
人は真理に到達することが
できない、とか。


プラトンのイデア論の
流用なのですが、
真理は神の世界※1(イデア界)にあり、
人間には到達することができない、
らしいです。

※1 ニーチェ先生の言う「背後世界」



ま、イデアなんて
ありませんけどね。

人間は、イデアのような「永遠」が
好きですけど。


例えば、
「これが「イス」だと分かるのは、
 イスのイデアがあるからだ」と
プラトンは言いますが、


しかし、
プラトンと同時代の日本人を
連れてきて同じものを見せても、
「イスだ」とは分かりませんよ。
イス知らないんだから。


同様に
プラトンの前に畳を置いて
「これは何だ?」と
訊いてみても、
プラトンには「畳のイデア」を
感ずることはできません。


イデアは文化によって制約される。

そんなものはイデアでもなんでもありません。

まあ、ギリシャ文化圏から
出たことが無かったプラトンには
分からなかったでしょうけれども。


イデアのように
背後に隠れたものが
必ずしも貴いわけではないし、

本質は
神の側(がわ)でなくあくまでも
人間の側にある。
そう考えたいですね。


神や永遠やイデアは、
神や永遠が大好きな人間が
生み出したものだと思います。


話それました。







2つめは、「原罪」ですね。


「原罪」というのは、
アダムとイブが犯した罪は、
子孫の我々すべてが
引き受けなければならない、
とかいうこと。


お前に代わって
原罪の罪をつぐなってくれた
キリスト様を信じて
洗礼を受けなさい、とか。


真理は「神の側」にあり
人は自らの力では真理に
到達することができない。

だから、
真理が書いてある
「聖書」だけを
ただひたすら信じなさい、とか


人は生まれながらに
罪を負っているから、
つぐなうためには
キリスト教に入信しなさい、とか。


キリスト教は、
人を精神の奴隷に
しようとしているんですかね?


まあ、
そうしたほうが
神と人の間にある人たち(教会)
にとっては都合がいいんでしょうが。


とくに、
「原罪」はヒドイですよ。
祖先の犯した罪は
子孫全体の罪だから
つぐないなさいとか、

そんな宗教はちょっと
聞いたことがありません。


たとえば
似たようなので
儒教の九族誅滅とかが
ありますが、

あれは
種を根絶やしにして
恨みを残さないためだし。



おなじく
祖先の墓を破壊したり
するのは

儒教はもともと
祖先崇拝の宗教だから、

墓を壊して祖先崇拝を
させなくするというのは、
同じ儒教の価値観を持つ
人に対しては

恐ろしい精神的打撃に
なるわけです。


キリスト教の原罪とは
根本的に違いますね。



話はそれますが、
大英帝国時代の植民地支配や搾取を
批判されると

イギリスの若者が
「なぜジーサンバーサンたちが
 犯した罪を
 俺たちが償わなきゃ
 いけないんだ!」
などと言ったりしてますが、

キリスト教的には
間違った考え方かもしれません。

キリスト教では
親の罪は子が償うわけですから、

その意味では
ジーサンバーサンたちが犯した
植民地支配などの「原罪」は
子孫の孫たちが償わなければ
ならないような気がします。

キリスト教徒なら。


私がキリスト教から感じる
重圧というか圧力を
とうぜん西洋の人たち
(というかキリスト教徒)も
感じていたようで

いろんな方々が
重圧からの解放を目指しました。



人間の反撃!

れんぞくこうげき!!

        (つづく)







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