夏海笑の目指せ!Bライフ経由、まんが道

58歳のバツイチ爺。44歳でサラリーマンをドロップアウト、マンガ家を目指すことにする。以来、14年間奮闘中。54歳で寝太郎さんのBライフに出会い、感動。秩父の山小屋で自分もBライフに入る。ちょっとだけ働きながらマンガを描いて、プロを目指すのが目標。趣味は太極拳(孫式)とラーメンとデカ盛り、特撮

カテゴリ: 自己紹介

2020(令和2)年1月5日(日)







カルロス・ゴーンの逃亡事件を
興味深く見守っています。


私はサラリーマン時代
人事をしておりましたが、

社員のクビを切るのが
いちばん辛かった。


喜々としてクビを切りまくった
冷酷男の末路はどうなるのかと・・・



思えば、

人を教育するのも
イヤだったし

(なんで私ごときが教育するの?
 と思っていた)


同じように
人を評価するのも
キライだった。


人事をやっていた10年間は
ひたすら辛かった
ような気がします。



今は、
社会の底辺に住んで

とても幸せですね(^^)




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平成29(2017)年2月13日(月)

ざざーーーーん!

私が今住む南房総の岩井袋は、内湾のそれはそれは静かな海で、
濃い青い空と透明な海がどこまでもでこまでも広がっています。

とくに夏の岩井袋といったらそれはそれは楽しくて楽しくて、
思わず笑ってしまうのです。

岩井袋20080824003
岩井袋20080909003

だから、ハンドル名は夏海笑!



そんなわけないじゃないですか (´・▲・`)

私を、さぞかし能天気なヤツと思っている人も、
もしかしたらいるかもしれません。

「山笑う」の海版じゃないの~? とか。



そんなわけないじゃないですか (´・▲・`)

じつは夏海笑という命名には深い深い思いがあったのです。

はるかなる昔。

ある19歳の青年ありけり。

土佐の室戸岬に御蔵洞(みくらどう)という洞窟があるのですが、
この青年はここにこもり、虚空蔵求聞持法(こくうぞうぐもんじのほう)
という修行を行いました。
img_7

虚空蔵菩薩は、広大な宇宙のような無限の智恵の化身。

彼は、すなわちこの修行によって、すべての経典を暗記せん!
と願をかけたのですね。

修行をしている間、この御蔵洞から青年の目に映るものは、
ただ空と海ばかりでありました。
Mikurodoɨ

だから青年は、以降、空海と名乗ったのです。



カッケ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ッ!!!!

ロマンチックだなや~~(* ̄▽ ̄)キラキラ

おじさんは清い涙を流しました。

私も彼に倣(なら)おうと思いました。


私の前には、笑っちゃうような青い青い夏の海が、ただ広がっています。

だから夏海笑!

つまりはそういうことなのですよ。










うそぴょん。

空海良いですよね~~(* ̄▽ ̄)

仏教者の器としては、最澄の方が1枚も2枚も上だと思いますけど。

なにしろ、最澄は鎮護国家の、加持祈祷宗教だった仏教を、ほんらいの
人を救う宗教に戻そうとしたわけだし。

弟子が馬鹿ばっかだったので、比叡山はけっきょく鎮護国家仏教に
なっちゃったにしても。

しかし、私は、いち沙門(修行者)として渡海し、奥義を授かり、
最後までいち沙門として生きた空海の生き方にあこがれています。


南無大師遍照金剛!!!ヽ(`Д´)ノ <ウオーーー









自己紹介(その5)です。







前回の続きです。
44歳~46歳の3年間は、地元の素潜り漁師W兄さん(仮名)に連れられ、
南房総のいろいろな漁を体験できました。

   楽しい夏の素潜り漁(2)↓
   楽しい夏の素潜り漁6
    ↑イセエビ、ハコフグ
   楽しい夏の素潜り漁5
    ↑イシダイ、メジナ、スズキ、ブダイ(赤)、タカッパ、カワハギ

   おすそ分け。いろんな魚を食べさせてもらいました↓
   おすそ分け6
    ↑ウスバハギ、メジナ、カサゴ、ウルメイワシ
   おすそ分け5
    ↑スズキ、カガミダイ(的ダイ)
   おすそ分け4
    ↑シーラ
   おすそ分け3 (1)
    ↑アカウニ
   おすそ分け2
    ↑セイゴ
   おすそ分け1
    ↑オニカサゴ、ホウボウ

   筌を沈めておかずを取ったりもしました。↓
   筌3
    ↑ゴンズイ
   筌2
    ↑ハブ(クロアナゴ)
   筌1
    ↑タコ

   この3年間は無駄に波乱万丈だった私の人生の中では、
   例外的に穏やかな期間だったような気がします。

   そんな南房総を、私はこれから出て行く。
    ・・・ありがとう、W兄さん(涙)

 自己紹介は、もう少し続きます。








47歳 けっきょく3年がんばったものの、自分で納得できるマンガは
    描けませんでした。いちど講談社のコミックオープンに応募しましたが、
    ものすげえ酷評されました。

    それからはずーーーーーっと、絵コンテを描いては直し、描いては
    直しの毎日でした。最近やっと、自分でも納得できる絵コンテになって
    きましたけども(^^;

    しかし、さすがに貯金が少なくなってきました。
    私はまた働き出します。1年間、地元の高校(千葉県立君津高校)で
    臨時雇いの先生をやりました。1週間10コマ、教科は社会科(倫理と
    現代社会)で3年生を受け持ちました。

    みんな元気があってかわいかったなー
    あの頃教えた子どもたちも、もう26歳か・・
    みんな元気にしてるかな(^^)

48~53歳 高校の先生の仕事はそれなりに楽しかったのですが、
       給料は月8万円で、さすがにそれでは暮らせませんでした。
       さらに貯金は減っていき、ついに尽きそうになりました。

       私はけっこうあせってフルタイムの仕事を探しました。
       そして、ハローワークの相談員(臨時雇い)になりました。
       ここにはけっきょく5年間お世話になりました。

       ハローワークでの仕事は穏やかで、職場はみんないい人ばかりでした。
       (お客の中にはけっこうすごい人がいましたが・・)

       しかし、しょせんは臨時雇いです。
       基本的に年ごとの予算(国家予算)で、ハローワーク館山で何人
       雇われるか決まりますので、安定した仕事ではありません。
       運良く5年連続で雇ってもらう事ができましたが、6年目には
       「夏海さんの担当職務の予算が付かなかった」と言われ、
       私は失職してしまいました。

53~54歳 「あとの人生はお年寄りと穏やかに過ごしたいな」などと
       ばくぜんと思った私は、介護の資格を取って(初任者研修終了資格)
       介護の会社に就職しました。

       グループホームといって、認知症のお年寄りのお世話をする施設です。
       しかし、そんな甘い考えでやっていけるはずもなく、
       また、対人が苦手な私が介護職というのは、やはりそうとうに無理が
       あったようで、ある若年性認知症の男性利用者から「死にたい」
       「自殺する」と追い回され、私は疲れ果ててしまいます。

       そこまでは「病気の方なんだから仕方が無い」と自分に言い聞かせて
       がんばったものの、さらにその方の奥さんから「主人を脅迫している」
       「あの人に介護をやらせないで欲しい」とトンデモなクレームまでもらい、
       私はもうそれ以上がんばれなくなってしまいました。

       そんな時に、私は寝太郎さんのBライフと出会ったのです。
       今ココ、ですね(^^;

       次回からは、またBライフを目指す話に戻ります。






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自己紹介(その4)です。







41~44歳 このトッキで、私は敗者復活戦のつもりでがんばりましたが、
       しかし、この仕事は私の能力を完全に超えており、燃え尽きて
       しまいました。

44~46歳 南房総へ移住。
    燃え尽きてしまった私は、「しばらく仕事はしたくないな」と思いました。
   都会に住んでいた頃大好きだった南房総に逃避して、しばらくのんびり
   しようと思ったのです。

   それから、私は小学5年の頃からマンガをずっと描いていました。
   だから、この機会に、人生で1回くらいはマンガ家を目指してみたい、
   そう思いました。
 
   マンガと釣りと読書と太極拳だけをして過ごしたい、それが私の
   願いでした。こうして私は新潟の寮を引き払い、千葉の南房総の
   アパートへ引っ越したのです。

   南房総では、近所づきあいや友だちづきあいなど一切するつもりが
   無く、また復活できるまで、ひとり静かにしていようと思っていたの
   ですが、なぜか地元の素潜り漁師に気に入られ、兄貴分ができました。
   ここでは仮に、W兄さん、としておきます。

   W兄さんに連れられて、私は南房総の四季折々の漁を経験します。

   冬のギラ釣り↓
   冬のギラ釣り

   冬のハバ採り↓
   冬のハバ採り1
   冬のハバ採り2
   春のワカメ漁(写真はW兄さん)↓
   春のワカメ漁1
   春のワカメ漁2
   春のワカメ漁3 (1)

   春のアシタバ採り↓
   春のアシタバ採り

   






   春のウミタナゴ釣り↓
   春のウミタナゴ釣り

   楽しい夏の素潜り漁↓
   楽しい夏の素潜り漁2
    ↑イセエビとクツゾコ(舌平目)
   楽しい夏の素潜り漁3
    ↑タコ、イセエビ、シッタカ(尻高貝)
   楽しい夏の素潜り漁4
    ↑イセエビ、カサゴ、カワハギ、ハコフグ、アワビ(赤)

 思い出が尽きず、画像がたくさんになりそうです。

 いったんこのへんで分割しますね。つづきはまた(^^)







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自己紹介(その3)です。







40~41歳 人事職として、人事全般広くやってみたいと転職先を探していた
      私は、伊勢の赤福の社長と出会います。

      面接で、社長と意気投合し、

      「ワシは伊勢が好きだ。伊勢の文化を使って事業展開したいのだが、
       赤福の社員はぼた餅を売る事しかできん。夏海よ、ぼた餅以外の仕事が
       できるように、赤福の社員の頭の中を変えてくれ」

      そう言われ感激した私は、人事の管理職として、赤福に入社します。

      しかし、入社早々私を待っていたのは、上司の人事室長と副室長による
      壮絶なパワハラでした。

      たとえば、会議室に3~4時間閉じ込められ、
      「みんながお前の事を悪く言っている。なんでだろうなあ~ 
      なんでだろうなあ~」とひたすら繰り返すのが彼らの常套手段でした。

      今にして思えば、これって、拷問ですよね(ーー;
      そんなことが毎日毎日3か月も4か月も繰り返されるうちに、
      改革どころではなく、私は徐々に壊れていきます。

      最後にとどめを刺したのが、妻との離婚でした。
      「もう好きじゃなくなった」と言って、妻が家を出て行ってしまったのです。

      私はうつ病になってしまいました。

41歳 伊勢から撤退し、東京に戻ってきました。
    しかし、うつ病で何もする気が起きず、毎日アパートでゴロゴロしてました。
    「私はこれからどうなるんだろうなあ~」といつも思ってましたよ。

    しかし、8か月ほどたち、ボチボチうつ病からも回復してきた私は、
    トッキという工作機械メーカーに採用してもらいます。
    新潟工場の総務課長職でした。








41~44歳 かつてトッキは薄型ディスプレー製造機械、しかも有機ELディスプレー
      と言うかなりニッチな分野で世界一の技術を持っていました。
      しかし同業他社に追いつかれ、価格競争に巻き込まれ、利益が出ない体質に
      なっていました。そこで、今一度技術でトップに立ちたいと、経営改革を
      行おうとしていました。

       今までは一部の優秀な技術者の考えを、下々の技術者が忠実に実行する
      ようなトップダウン型の経営でしたが、この社内の優秀な技術者が技術的な
      優位を失い、悪しきトップダウンに陥ってしまっていたのです。

       ボトムアップ型の経営に変えたい、というのが社長の思いでした。
      下々の技術者の考えをできるだけ拾い上げよう。
      上司は部下の意見を潰すなよ、というわけです。

      しかし、今の社員はかんぜんに受け身の考え方になっていて、ただ上司の
      命令を待っています。社員が積極的に自分の意見を発するようにならな
      ければ、とうぜんボトムアップ型の経営はできません。

      「夏海、社員が積極的に動くように、社風を変えてくれ!」

      赤福の時のように、またまた私はトンデモな課題を投げつけられて
      しまったのでした( ̄□ ̄;)

・・・今回は、このへんで。




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