夏海笑の目指せ!Bライフ経由、まんが道

58歳のバツイチ爺。44歳でサラリーマンをドロップアウト、マンガ家を目指すことにする。以来、14年間奮闘中。54歳で寝太郎さんのBライフに出会い、感動。秩父の山小屋で自分もBライフに入る。ちょっとだけ働きながらマンガを描いて、プロを目指すのが目標。趣味は太極拳(孫式)とラーメンとデカ盛り、特撮

カテゴリ: その他

2018(平成30)年11月2日(金)








さいきんの朝の気温は
だいたい3~4℃くらいですね。

2018110201



寒いっちゃ寒いけど、
このくらいなら
ぜんぜん耐えられる(^^)


しかし
寒くなるとカセットコンロの
ボンベの火が小さくなる
(気化がしにくくなる)
現象はもう始まっていて
これには往生しますね (-_-#)ムカムカ 


お湯がなかなか沸きません! ヽ( ̄Д ̄)ノ 



さて。


現在は
せっかく買ったペンタブが使えず、
リトル停滞中ですが

先に希望があると
停滞も、そんなにツラくないですね。


これは、発見です! 


やなせ先生の

「希望は、ある」

「そう信じないと、
 生きて行かれない」

という言葉を
日々噛みしめて過ごしています。



ところで
前の漁師料理の記事に
臨時の学校の先生を
1年間やったと書きましたが。


そのことを
ちょっと思い出したので
書こうと思います。


なぜ私が先生を続けなかったか
そんな事も・・・


私が臨時の教員をしていたのは、
2009年4月~2010年3月の1年間です。

千葉の県立K高校の3年生に
現代社会と倫理を教えていました。
受け持ちは5クラスで200人。


学校の先生は1年しかやらなかったけど、
子どもたちには案外なつかれ
けっこう楽しかったですね。


子どもたちは
みなかわいかった! 


相談もよく受けたけど。


子どもなりに
いっしょう懸命考えたことなので、
なるべく否定しないように
しようと思っていたな。


私ごときの小さな小さな了見で否定して、
子どもたちの未来を
狭めてはならぬ! 💥


そんなふうに思っていました。









男の子たちは
「先生(相談の時間は)給料出ないんだよね?」
なんていっちょまえに
気を使ってくれたり。


女子の恋愛相談に往生したり。
(私は奥さんに逃げられてんのに!)



授業で使うプリント作ったり、
2か月に1度アンケート取ったり、
定期試験で小論を課したり

なるべく一方通行にならないように
コミュニケーション取ろうと思ったら
死にそーになりました(^^; 


月給8万円のために
週2回くらい徹夜してましたね。
(当時から私は心底バカだった^^;)


で、
教師の仕事をして思ったのは、

やっぱり臨時の先生といえども
片手間にやってはいけないということ。



かわいい子どもたちに接していると、
「こういう人間になって欲しい」という
思いが無いとツライな、と思いました。
(とうぜん私には無かった)


たぶん教員という職業を続けられるのは
子どものことをしんけんに考えられる人か、
逆にまったく考えない人か
どっちかかもしれないなー、と思いました。
(とうぜん私はどっちでもなかった)



それから、痛恨の一事があって。



・・・私、当時現代社会の授業で
「原発は必要だ」って
言ってたんですよ(泣)。



発電時にCO2を排出しない原発は、
温暖化の進行を止める
有効な処方箋だと思っていた。当時は。



で、その翌々年に
わが郷里南相馬市を津波が襲い、
未曽有の原発事故が発生するわけです。



私は間違っていました。



そして
その間違ったことを
子どもたちに教えてしまいました。



当時の子どもたち、
ほんとうにごめんなさい。



しかし、
もう取り返しが効かない。


教師という仕事は
ほんとうに恐ろしいなー
と思いました。


で、
その時
私のような人間は
教師なんて二度とやっちゃあいけないな、
と思ったのです。



当時岩井袋では
「魚獲ったらば食う!」的な
野人のような生活を送っていましたが、
一方ではそんな事もしていたですよ。


何もかも、みななつかしいです(^^)


今日は
漁師料理シリーズを書こうと思って
当時のことを思い出していたら、
こんな話になってしまいました。




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2018(平成30)年4月9日(月)







島根県で
震度5強の地震があったそうですね。


被災者の皆さんに
お見舞い申し上げます。


島根県には原発があるそうですが、
原発事故が起きなくて
良かった。


福島第一原発事故で
旧避難指示(命令)地域であった
我がふるさと南相馬や飯館村、富岡町などは

一部避難指示が解除
されたものの、
住民の帰還はほとんど進んでいません。
(帰還住民は1割ていど) 


ところで


福島第一原発事故の原因は、
私は人災だと思っています。

あの時
東日本大震災後の津波が
福島第一原発を襲い、
非常用電源室が浸水しました。


そのため、
非常用電源を喪失し
炉心を冷却することが
できなくなり、

冷却水が沸騰→蒸発し
むき出しになった炉心が
格納容器を溶かし

メルトダウンが発生しました。


これが
原発事故の概要です。


直接の事故原因は
「非常用ディーゼル発電機を
 地下1階に設置したこと」
です。


福島第一原発の非常用電源は
エジソンたら言う奴の作った
GEたら言う馬鹿会社が作りました。


内陸部に原発があるアメリカでは、
ハリケーン被害を防ぐため
非常用電源は地下に設置する
のが普通です。


どうやらそれを
そのまま適用した
らしい。


福島県では、
ハリケーンなんて
発生しないですよ。


起こりもしない
ハリケーンよりも、
日本では地震こそが恐ろしい。


福島第一原発は海べりに
建設されましたから、
怖れるべきは
津波です。


当時の東電の技術者たちが
非常用電源が地下では
津波が来た時に
ひとたまりもないと
クレームしたようですが、
聞く耳を持たなかったようです。


「これでいいんだ!
 なぜなら、
 俺たちはGEだからだ!」

とかなんとか
能天気に言ってたらしい。


当時の日本人は
アメリカ人に
馬鹿にされてましたからね。


そう
原発事故の根本原因は、

「GE社員の思い上がり(思考停止)」

でした。



その思い上がりの結果、
どんな事故が起きたかは
みなさんも
ごぞんじの通りです。







さて。


原発事故については
後日苦い思い出があります。


福島第一原発はいわゆる
「管外発電所」であり、

ここで発電した電気を
使っていたのは
地元福島ではなく
東京電力管轄の都会の
人たちでした。


私が以前住んでいた
南房総の鋸南町の人たちも、
とうぜん福島第一原発の電気を
ジャブジャブ使っていたはずです。


その鋸南町に
産廃を作る計画が
持ち上がりました。


その時に反対運動の
リーダー格の元校長先生とか言う奴が
街頭で何を叫んでいたかと言うと。


「福島のようにしちゃいけない!
 鋸南町を
 福島のように汚染させちゃいけない!」

・・・んだと。


福島第一原発の電気を
使うだけ使い倒していた
人たちが
なんという言い草なんでしょうね。


少なくとも
こんな元校長の男に
教育者の資格はありません。


そしてこの騒ぎが、
私が鋸南町を離れる
原因のひとつになったのです。








2018(平成30)年1月15日(月)







今晩は、妹がフンパツして

『あじくら』の持ち帰り中華を買ってきてくれました。

2018011501


いちばん人気のスブタ。

巨大なブタのからあげがドンとあって、

その上に、細切りの具を載せています。


こういうスブタの作りかたもあるんですね~


肉がいっぱいで、

たいへんおいしうございました ぺこ <(_ _)>

2018011503


名物の台湾やきそば。

ひきにくとニラともやしのピリカラやきそばです。

たいへんおいしうございました ぺこ <(_ _)>

2018011504


名物の棒ギョーザ、

たいへんおいしうございました ぺこ <(_ _)>

2018011505


エビチリ、ゴマだんご、

たいへんおいしうございました ぺこ <(_ _)>









しかし私は、

こういうジウジツしたごはんではなく、


マンガを描いてお腹がすいたら

テキトーにブドウパンでもかじっていた、


テキトーな秩父の生活が恋しいのよ。


妹よ、スマヌ。


テキトーな兄でスマヌ。



木曜日に中古車が納車されたら、

金曜は秩父へ移動。


もうすぐ秩父に帰れるのである。







2018(平成30)年1月12日(金)









中古車をたのんでいた自動車屋から、やっと電話来る。


車は仕入れたが、

車検が付いていないので

これから点検して車検を通す。


だから引き渡しは、最短で来週18日(木)


・・・なんだと ( ̄□ ̄;) 


「秩父に帰るのに使う車だから急いでいます」と

納期優先で頼んだのに、

この自動車屋、人の話をなんも聞いてない。


(; ̄∇ ̄)はっはっはっはっ 








母も妹も


「寒い秩父にそんなに急いで帰らなくても、

 あったかくなるまで実家にいていいよ」


と、言ってくれますが、


私、孤独でないとマンガが描けないのです。


上げ膳据え膳で母と妹からもてなされ、

私すっかりゆるんでしまっています。

(体重も2週間で5kg増えた)


地べたで生きる、サツバツとした作品世界に入って行けません。


作品を描くには、

孤独で不幸な環境が必要です。


まだまだ面白くない絵コンテですが、

そんなマンガを描くのにだって

それなりのエネルギーが要るのです。


面白くなくとも、

今の私の精いっぱいのエネルギーで描く。


それをするために、

私には、孤独で不幸な秩父の山小屋が

必要なのです。



ああ


秩父に帰りたい。



(; ̄∇ ̄)はっはっはっはっ




2018(平成30)年1月10日(水)









たまには私が晩ごはんをつくります。


具をオリーブ油でいため、

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トマトジュースでゴハンを炊きます。

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ゴハンが炊けたら

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たまごやきをのせて、

オムライス(ケチャップかけすぎ)かんせい!

ヽ(`Д´)ノ <ウオオオオーーー!!! 


2018011007









歳をとったら肉を食べろと言いますが、

母は肉が食べられません。


肉から取ったダシなら食べられると言うので、

トリササミで炊き込みゴハンを作りました。


洋風の料理はほとんど食べない母ですが、


「これは、はじめての味だ」

「ゴハンに味が付いていておいしい」


などと言いながら、はむはむ食べてますね。


塩コショウで軽く味付けしただけなのですが、

トマトのうま味パワーに感謝です(^^)


チキンライスを炒めゴハンにするのではなく、

トマトジュースで炊き込むやり方は、

革しごとStitchさんのブログから教わりました。


ありがとうございます ぺこ <(_ _)>





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