2018(平成30)年8月7日(火)








私がキリスト教から感じる
重圧というか圧力を
とうぜん西洋の人たち
(というかキリスト教徒)も
感じていたようで

いろんな方々が
重圧からの解放を目指しました。


人間の反撃!


れんぞくこうげき!!



まずは、
「考えている自分から始めよう」
と言ったデカルトさん。

xy軸で言うところの
(0,0)地点を
発見したのですね。


「神の世界の事はわからない」
と、カントさん。

人間の認識(理性)の範囲の中で
やって行こうよ
と、言いました。


カントさんを思想的に
受け継いだヘーゲルさんは、
イケイケです。


人間の理性だって
たいへんなもんやでー!

歴史だって動かすでーー!!

フランス革命見ろや!

と、吠えておられます(^^)


このへんまでは、
神を認める派ですね。
でも、人間だってたいしたもんやで派(^^)



そしてついに!

武闘派の登場です!


私の尊敬する、
ニーチェ先生です(^^)


ニーチェ先生、
「ありもしない真理で
 人間を縛るな!」と
たいへん怒っております。


自分自身の足で立て!

キリスト教の奴隷になるな!


原罪から解放されて、
自分の人生を生きよ!


いいですねえ~

さすがニーチェ先生(^^)

(^^)//パチパチパチ



フーコーさん(フランスの哲学者)も
怒ってますね。

「すべての真理が神の国(イデア界)に
 あるというなら、
 我々人間はカスばかりの地上世界で
 いつも罰せられて(原罪)生きるのか!?」と。

(^^)//パチパチパチ


フッサールも言いました。

キリスト教が言うような
完全な客観性を追うのはやめよう。

完全な客観性など無い。
「間主観性」(主観の共通部分)で
いいじゃないか、と。


この間主観性を確定するために、
人が議論する。
それでいいじゃないか、と。

(^^)//パチパチパチ



「イデアのような実体があるのではなく、
 構造があるだけだ」
と、言った人もいます。



さて。


この「原罪」問題に、
最終的に決着を付けたのは
ダーウィンでした。


まあ、
アメリカには進化論を
否定している州もあるようですが。


人間は、「神が作った」のではなく
「猿から進化した」のです。


当然、「原罪」など無く、
神と人間の間に
特別な関係などありません。

(^^)//パチパチパチ








西洋の哲学の歴史は
プラトン・アリストテレス・キリスト教の
抑圧から脱出するための
歴史だったような気がします。


だから、
哲学者の目指す人間像と言うのは、
抑圧を抜け出して自ら
運命を切り開いていく
強い人間でした。


まあ、
マルクスなんかの場合は
運命を切り開くというのを
階級闘争にフォーカスしすぎて
おかしなことになってしまいましたが。


話はそれますが、
マルクス主義者や労働組合が
闘って勝ち取ってきた労働者の権利を、
バブルの崩壊以降
どんどん吐き出している気がします。

とてもざんねんですね。



そもそも
ユダヤ教の改革者だったイエスは、

「ユダヤ教徒だけしか救われないとか、
 神の愛はそんな偏狭なものじゃないよ。
 神の愛はユダヤ教を信じるものの上にも
 信じないものの上にも
 平等に降り注ぐのさ」

と言ったのだから、

キリスト教徒もイエスの教えに
忠実に立ち返って欲しいですよ。



ところで。

哲学というものは
ひとりの哲学者に
着目して
深く学ぼうとすると
気が狂いそうになります。


哲学者の著作と言うのは、
ただの自分の思想の
記述ノートですね。


たぶん
読者に親切にわかりやすく
書こうとか

自分の思想を
みんなに理解して
もらおうとか

そういう意識は
無いように思います。


やたらと
小難しく書く。


サルトルとか
あんなに難しく
書く必要があったのか。


もちろん
ニーチェ先生のような
例外もありますが。


しかし、
今回のように
広く浅く
ざっと見て行くのは
とても楽しいですね。



        (完)






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