夏海笑の目指せ!Bライフ経由、まんが道

58歳のバツイチ爺。44歳でサラリーマンをドロップアウト、マンガ家を目指すことにする。以来、14年間奮闘中。54歳で寝太郎さんのBライフに出会い、感動。秩父の山小屋で自分もBライフに入る。ちょっとだけ働きながらマンガを描いて、プロを目指すのが目標。趣味は太極拳(孫式)とラーメンとデカ盛り、特撮

タグ:日米戦争

2018(平成30)年7月28日(土)








今回も、時系列の流れから。

1945(昭和20)年
8月30日 マッカーサー着任
9月11日 A級戦犯容疑者逮捕

10月11日 マッカーサー、幣原首相に
       民主化に関する五大改革指令。

11月6日 GHQ,財閥解体指令
12月9日 GHQ,農地改革に関する覚書を発表
12月22日 労働組合法発布


1946(昭和21)年
1月1日 天皇、人間宣言

1月4日 GHQ、軍国主義者らの公職追放を指令
2月13日 GHQ,憲法草案を日本政府に手交



前回は、
原爆デモンストレーションのおかげで、
アメリカは一国で
日本の占領ができるようになったと
書きましたが



今日は、
この占領政策について
ちょっと書きます。

アメリカの占領政策は
どこまでがトルーマンの意思で
どこまでがマッカーサーの意思なのか
勉強不足なのですが、



目的は、
「日本潰し」でした。


「日本を二度と強い国にしてはいけない」



日本潰しの政策が
着々と進められます。








ということで、
軍隊の解散は、
まあしかたないですね。


それから、
国力と言えば経済力。

日本経済の国際競争力も
きっちりと
落とさなければなりません。


このための政策が、
第一に「農地改革」です。



当時は
大土地所有者のもとで

自分の土地を持たず
高額の小作料を払って
耕作する農民が多かった。


こうした農民たちが
生活が苦しくなったり、
飢饉が起こったりすると
どっと町の工場に出てくる。


彼らはもう帰るところが
無いから、
安い給料でも文句言わず
働かざるを得ない。


この安価な労働力が、
日本経済の国際競争力の源
だったと思います。

(ちょっと前の中国と
 同じような構造ですね)


だから、
大土地所有者から土地を
取り上げ、
小作人たちに分配しました。


小作料から解放して
喰い詰めた小作人が
町に出て来ないように、
したかったんですね。


アメリカは、
「農地改革」を、べつに
不平等の是正とか農民の権利のために
やったんじゃありませんよ。


第二に、「財閥解体」です。


当時の日本では、
政府や軍と財閥がガッチリと
手を組んで
国策を進めていましたので、
財閥、解体してしまえ! と。


政府や軍に対する
資金供給や後方支援を
断ちたかったわけですね。


これもまあ、
しかたがないですが。


アメリカは、
「財閥解体」もまた、
べつに「経済の民主化」のために
やったわけじゃありませんよ。


仕上げは、「教育改革」です。

軍国主義の否定
建国神話の否定とか
(「神国日本」の思い込みを潰す)
武道の禁止とか
(武士道がファシズムを生んだ!)



今までの日本はすべて悪かった
的な教育ですね。


これは
日本人のモチベーション潰しが
目的であり、

アメリカは、
「教育改革」を、
べつに「民主化」のために
やったわけではありませんよ。


アメリカの占領政策を
ざっ見てくると、


アメリカは
自分に都合のいい事を
日本に
「これがグローバル・スタンダードだ!」
と言ってよく
押し付けてこようとしますが、


その傾向はたぶん、
GHQ占領のこの頃に
始まったような気がします。


「これが民主化だ」「自由だ」と
言われて占領政策を
受け容れた日本人。


結果的に経済だけ復活できたし、
ここ75年程戦争もしなくて
済んでるから
いい面もたくさんあったんでしょうが。


平成のアメリカ圧力にも、
いい面があるといいなあ(^^;


            (完)



ネタ本:「齋藤孝のざっくり!日本史」








よろしければ
ポチッと応援お願いします( ̄(エ) ̄) 💥
ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村









2018(平成30)年7月26日(木)







狂人ルーズベルトの日米戦争というお題で
以前何記事か書きましたが

もうちょっと
書きたいと思います。


まず、時系列の流れ
ですね。


1945年5・6・7月
 日本、白旗を掲げ、和平を打診。
 トルーマン、拒否。

 トルーマン、無条件降伏を要求。
 日本、天皇の地位の保全のみを求めるが、
 拒否。

1945年5月
 フーバー、トルーマンに助言(拒否)
 「日本はもうギブアップなんだ。
  無条件降伏なんて言わないで、
  一刻も早く和平すべきだ」

1945年7月26日 ポツダム会議
 日本に最後通告


同 8月6日 広島に原爆投下。
8月8日 ソ連、日本に宣戦布告。
8月9日 長崎に原爆投下。

8月14~15日
 アメリカ、天皇の地位の保証を受諾(※)。
 日本、それ以外は無条件で降伏。
 (日本が無条件降伏を受け入れた、
  というのもウソです)

8月16日 スターリン、ソ連の北海道北部占領を
      提案。トルーマン、拒否。








えー、なんでまた狂人ルーズベルト?
と思った方もいると
思うんですけど、


原爆投下のことに
ちょっとだけでも
触れておいたほうが
よかったかな、と(^^;


狂人ルーズベルトの亡霊であるトルーマン
(以下、狂人トルーマンと略す)は、
どうしても原爆を試したかったんですよ。



アメリカの圧倒的な力を
世界に誇示したかった。


大戦後の世界を自分たちの
都合のいいように動かすために。



とくに、ソ連が台頭してくるのを
けん制したかった。


つまりは
「見せしめ」ですね。



アメリカにケンカ売ったら
こうなるんやでえ~、という。


だから、
原爆デモンストレーションが
済むまで、
日本の降伏を認めるわけにはいかず、
ズルズルと引き伸ばしました。



そして、
ソ連参戦の2日前という
絶妙のタイミングで
広島に原爆を落としたのです。



原爆を落とさなくても
日本は降伏していたというのは
一連の流れで説明しましたが、

狂人トルーマンは
戦争を終わらせる為ではなく
政治的デモンストレーションのために
広島長崎に2発の原爆を落とし、
20万人の非戦闘員を殺戮しました。


私は大戦中の
大日本帝国の非道を認める気は
ありませんが、

大戦中の日本を
人道に対する罪で裁くなら、
アメリカの原爆投下も是非
裁いて欲しい。


「勝ったから罪は帳消し」
では済まされないと思います。



これら一連の流れで思い出すのは、
やはり9.11ですね。


テロを正当化はしませんが、
それにしても9.11の報復は
ものすごかった。


直接の加害者でないイラクにまで
徹底的な攻撃が行われましたが、

(しかも大義名分だった「大量破壊兵器」は
 出て来なかった)


2発の原爆投下にも、
同じような執念というか
エネルギーを感じます。



とくに
相手が日本やイラクのような
非キリスト教国の時は
100倍返しがデフォ (-_-メ) 



アメリカのメンタリティーは
今日まで
何も変わっていないのです。


アメリカは
2発の原爆デモンストレーションによって
日本の占領をアメリカ一国で
できるようになりました。


ソ連の北海道上陸も却下できたし。


狂人トルーマン君、大満足です。


             (つづく)







よろしければ
ポチッと応援お願いします( ̄(エ) ̄) 💥

2018(平成30)年5月7日(火)






さて。
日米戦争は
最初は日本有利に
推移しましたが、


やがて
(日本にとって)泥沼化して行き


1942年6月5日ミッドウエーを
転換点に追い詰められて
行くわけですが、


そこらは今回のシリーズと
あまり関係がないので
省略します。


以降、
日本降伏までの流れです。


1945年2月 ヤルタ協定
 (ルーズベルト、スターリン、チャーチル)
 ・ドイツ分割
 ・東ヨーロッパ・バルト3国・満州を
  ソ連勢力圏と認める。
 ・ソ連対日参戦の代償として
  南樺太・千島列島をソ連領土とする。


 ヤルタ協定を見る限り、
 第二次世界大戦は
 ソ連のひとり勝ちにも
 見えますね。


 そしてその結果の
 ソ連の勢力拡大が、
 後の冷戦を引き起こしましたが、
 それはすでに述べました。


1945年3月 
 重光外相、
 スウェーデンに和平の仲介を要請。


1945年4月
 ルーズベルト、死去。
 副大統領のトルーマンが大統領に昇格。


 このトルーマンの
 キャラクターが
 よくわからないのです。


 トルーマンの意志で何かを行った
 という印象は薄く、
 ただ狂人ルーズベルトの路線を
 継承しただけのようにも見えます。


1945年5・6・7月
 日本、白旗を掲げ、和平を打診。
 トルーマン、拒否。


 トルーマン、無条件降伏を要求。
 日本、天皇の地位の保全のみを求めるが、
 拒否。


1945年5月
 フーバー、トルーマンに助言(拒否)

 「日本はもうギブアップなんだ。
  無条件降伏なんて言わないで、
  一刻も早く和平すべきだ」


1945年7月26日 ポツダム会議
 日本に最後通告


同 8月6・9日 原爆投下。
 日本が繰り返し和平を求めていたのにも
 かかわらず、アメリカは原爆を投下しました。


 「戦争を早期終結させるために
  原爆は必要だった」
とか
 「原爆を投下しなければアメリカの兵隊が
  多数死んだ」

とか言っていますが、すべてウソですね。


おそらく狂人ルーズ君、
莫大な予算をつぎ込んだ
国家プロジェクトである原爆を
使ってみたくて
しかたがなかったんでしょう。


その実験には
有色人種差別主義者の
ルーズ君にとっては、
黄色人種であり
言語も宗教もイデオロギーも
違う日本が最適でした。


さらに
リメンバー・パールハーバーと
憎しみを掻き立て、
ジャップと蔑称し
日本人を劣等民族と煽り立て
原爆で殺戮しても
アメリカ人が罪悪感を
感じないようにする。

そういう演出も抜かりなかった。

そういうことだと思います。


8月14~15日
 アメリカ、天皇の地位の保証を受諾(※)。

 日本、それ以外は無条件で降伏。
 (日本が無条件降伏を受け入れた、
  というのもウソです)

 ※マッカーサーは昭和天皇を
  国家元首として遇してましたから、
  「アメリカが譲歩した」という
  説は、私には納得しやすいです。


以上が、時系列の流れです。







歴史というものが、
その時代時代に生まれたキーマン達の
意志によって作られるのか


それとも状況によって
追い込まれていくものなのか
よくわかりません。


ただ日米戦争に関してだけは
起こった事柄をならべていくと、


戦争やる気マンマンだった
ルーズベルトという男の姿が
浮かび上がってくるような気がします。


日本に関しては、
戦争をやる段になると
軍部も政治家も国民も
熱狂しがちですが


日米戦争における
アメリカに関しては

狂った頭で
戦争をやりたがったのは
国のリーダーだけで、

アメリカ国民は
戦争を望んではいなかった。

そんな構図が見えてきます。



まあ、トンデモ歴史観ですが。


それから、余談ですが。


私が高校生の頃は(40年前だ!)、
社会主義や共産主義が
人類の理想郷を作ると
考えていた人がインテリ層に多かった。


私の高校の若い高校教師なんかは
ほぼ全員がマルクス主義に
希望を感じていたようでした。

(倫理社会教師のMは
 私が「スターリンは政敵を2000万人
 粛清した」と言ったら
 「そんな事実は無い!」と
 逆上したっけ)


ただ、
社会主義はともかく共産主義は
富を配分する共産党に
権力が集中しますし、


とくに中国人なんかは
元来自分の欲望に正直で、
一族の中に成功者が出たら
その成功者が一族みんなに
富を配分するのが
美徳とされていますから、


のちに中国が
現在の形になったのも
当然の帰結と言えると
思います。


マルクスの科学的社会主義が
ソ連や中国、北朝鮮を作ったと
言えるわけですが


哲学が歴史を作っていく、
というのはある意味恐ろしいですね。


社会契約説が
民主主義国家を生み出したのは
よろこばしいですけれども。

社会契約説と言えば

今のお若い方々は、
「自分には無制限の自由がある」と
考えているフシがありますね。


それは間違いですよ。

国民が自由の一部を
国家に信託することで
民主主義国家は成立しているのですから


公共の福祉に反する場合などは、
国民の自由は制限されるわけです。


それから、

アベ総理は憲法改正
やる気マンマンなようですが。


社会契約説的には、
憲法とは国民と国家の契約であり
為政者の権力を制限するものです。


「国家が憲法を守る」前提で
国民は為政者に統治を
信託しています。


このあたりのリクツを
アベチャンがちゃんと理解して
行動しているようには
見えないのですが。


そう見えるのは
私だけでしょうか?


・・・最後は蛇足でした。


           完

ネタ本:加瀬英明 他
    「日米戦争を起こしたのは誰か
     ルーズベルトの罪状・
     フーバー大統領回顧録を論ず」






よろしければ
ポチッと応援お願いします( ̄(エ) ̄) 💥

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村








2018(平成30)年5月5日(日)







さて。

時系列の続きです。

1941年7月
 アメリカの日本への全面的な金融制裁
 日本の在米資産を凍結。
 日本へのくず鉄・石油輸出を禁止。


 そんな挑発をすれば日本は報復として
 戦争を引き起こすと側近が警告したが強行。


 だって
 戦争やりたかったんだもん。


「パリ不戦条約によれば、
 経済封鎖は戦争行為である」
 (ケロッグ米国務長官)

 という話もありまして。


 この観点からも
 「戦争を仕掛けてきたのはアメリカ」
 という図式が成り立ちそうです。


 ちなみに、
 この経済制裁は
 中国のロビー活動の賜物でも
 あります。


 中国は
 日本の非道な侵略行為について
 ずっとアメリカでロビー活動を
 続けていて、それが実ったわけです。


 現在まで続く
 「正義のアメリカが
  ならず者国家を叩く!」
 という図式ですね(^^)


 しかし
 「アメリカの正義」というのは
 恐ろしいですよ。


 利権を収奪したいという
 欲望の隠れ蓑だったり、
 特定の勢力のロビー活動に
 踊らされたり。


 しかし、
 「赤心男」の近衛君が
 アメリカのこの種の怖さを
 ちゃんと理解していたのかどうか、
 よくわかりません。


1941年7月18日
 日本本土爆撃計画(「JB-355」)が
 大統領に提出される。


 蒋介石に
 米国人傭兵の戦闘機350機と
 爆撃機150機を与え、
 大陸から日本本土に
 焼夷弾攻撃をさせる計画でした。


 ちなみに「JB-355」を
 立案したひとりである
 カーリー大統領補佐官は
 共産主義者であり、
 それがバレて
 1956年にコロンビアへ亡命しますた。


7月23日 同計画 承認
 しかし、飛行機の引き渡しが遅れる。






1941年9月
 ルーズベルト、近衛総理の和平の提案を拒否。

 近衛は、天皇から満州からの完全撤退に
 合意する事の承認をもらっていたが、
 議論をさせてもらえなかった。


1941年11月
 天皇、米国に3か月の冷却期間を置こうと
 提案するもルーズベルト、拒否。


1941年11月26日
 ルーズベルト、議会に無断で日本に最後通牒。
 (米国では宣戦布告権限は議会にある)


 アメリカ、ハル・ノート(事実上の宣戦布告)で
 無理難題をふっかける。


1941年12月7日 真珠湾攻撃

 しかし、外務省の怠慢(※)により
 交渉打ち切りの通告が
 攻撃開始後になってしまう。


 ※たしか同僚の送別会で飲み過ぎて
  次の日起きれなかったとか、
  そんなレベルの話だったと思う。


翌12月8日 ルーズベルト演説
 「アメリカ合衆国は、日本帝国に
  突然、そして計画的に襲撃された」趣旨。

 「リメンバー・パールハーバー」と怒号する。


 ちなみに
 ルーズベルトは真珠湾前日の6日には
 日本の戦争電報を傍受し
 翌日の真珠湾攻撃のことを知っていました。


 これを警告せずアメリカ兵を見殺しに
 したくせに、よくやりますわな(^^)


 真珠湾攻撃でアメリカは太平洋上の
 制海権を失いました。


 ここで日本は南進を資源を押さえるくらいで
 やめといて、アメリカ商船を破壊しまくり、
 ロジステクスを潰しておけば
 日本は戦争に勝ったかもしれない
 と思うのですが、いかがでしょうか。


 しかし、
 日本海軍は軍艦ばかり沈めて
 商船は攻撃しません。
(商船を沈めてもポイント(手柄)にならなかった)


 さらにガダルカナルとか不必要に南進を進め、
 伸びきった補給線を断たれ、
 結末はご存知の通りとなりました。


 ちなみに、
 真珠湾攻撃の計画実行犯は山本五十六、
 承認したのが東条英機です。


つづく




よろしければ
ポチッと応援お願いします( ̄(エ) ̄) 💥

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村








2018(平成30)年5月4日(土)





話を元に戻すと
言いましたが・・・


ルーズベルトはじめ、
当時のアメリカインテリが
中国共産党をどう見ていたか。


日米戦争の伏線として
外せないと思うので、
ちょっと触れておきますね。


「シナの共産主義者は
 ソ連の共産主義者とは全く異なる。

 シナの共産主義者は、
 大衆を貧困から救うために、
 単に大土地所有制度を
 改革しようとしている
 近代化論者に過ぎない。

 毛沢東は
 ジェファーソン大統領のように
 高潔な人物である。」
 

(* ̄▽ ̄)はっはっはっはっ

皆さん、
どこのお花畑から
やって来たんでしょうね。


開いた口がふさがらん ( ̄□ ̄;)


毛沢東はウマイからなかなか
失言など犯しませんが、

当時の周恩来はレーニンの言葉を
引用して馬脚を現してますね。

「プロレタリア階級は、
 資本主義を破壊しつくすまで
 闘争を続けなければならない」

とかなんとか。


(* ̄▽ ̄)HAHAHAHAHAHAHA!!!


中国の重慶で毛沢東や周恩来と
接触を持った軍部は
正しく正体を見抜いていたようですが、

ルーズ君耳を貸さなかったみたいです。


当時の中国方面司令官は
マーシャル・プランで有名な
マーシャルでしたが、


彼は筋金入りの
中国共産お花畑主義者であり、
蒋介石に国共合作をやれやれと
圧力をかましていましたから、


ルーズ君が耳を貸さなかったのではなく
マーシャルが握りつぶしたのかも
しれませんが。


国民党にとっては
たまらん風評被害でしたね。







さて。


今度こそ本当に話を戻し、
起こった事を
時系列に並べてみましょう。


1920~30年あたり
 アメリカ、大日本帝国との戦争計画
 「オレンジプラン」を立案しました。

 のちの日米戦争はこのオレンジプランを
 詳細プランに落とし込んで戦われました。



年代不詳
 アメリカ、日本にモンロー主義を勧める。

 モンロー主義と言うのは、
 棲み分けというか地域覇権主義になりますかね。

 「南北アメリカは自分たちの勢力圏だから
  手を出すな。
  その代わり、俺たちも外には手を出さない」

 「満州・朝鮮は日本の勢力圏と認めて、
  俺たちは手を出さない。その代わり、
  ほかのところへは手を出すなよ」

 ・・・っていう感じですかね。


 当時のセオドア・ルーズベルト大統領が
 自分たちがフィリピンを盗る代償として
 日本のモンロー主義を認めたと
 いうことです。


 後に
 「やっぱり認めねえ」と言い出したのが
 「狂人」の方のフランクリン・ルーズベルト君
 になります。



1932年 満州国成立
 満州国は日本にとっての
 ニューディール政策でした。

 満州に日本中からお金を集めて新規開拓し、
 経済成長のエンジンにするという。

 まあ、私は朝鮮や満州の支配、日中戦争を
 正当化しませんが、ここでは議論しません。
 あくまでも日米戦争がテーマです。



1933年11月
 ルーズベルト(狂人の方)、ソ連を承認。


1939年 アメリカ、日米通商条約を破棄。
 通商条約の破棄というのは
 準宣戦布告行為になりますね。

 中国のアメリカでの反日宣伝の影響で
 アメリカが制裁を行ったようです。

 当時の日本の輸出の約半分が
 アメリカ向けでしたから、
 日本の貿易は大打撃を受けます。


 つづく。




よろしければ
ポチッと応援お願いします( ̄(エ) ̄) 💥

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村








↑このページのトップヘ