夏海笑の目指せ!Bライフ経由、まんが道

58歳のバツイチ爺。44歳でサラリーマンをドロップアウト、マンガ家を目指すことにする。以来、14年間奮闘中。54歳で寝太郎さんのBライフに出会い、感動。秩父の山小屋で自分もBライフに入る。ちょっとだけ働きながらマンガを描いて、プロを目指すのが目標。趣味は太極拳(孫式)とラーメンとデカ盛り、特撮

タグ:西洋哲学史

2018(平成30)年8月7日(火)








私がキリスト教から感じる
重圧というか圧力を
とうぜん西洋の人たち
(というかキリスト教徒)も
感じていたようで

いろんな方々が
重圧からの解放を目指しました。


人間の反撃!


れんぞくこうげき!!



まずは、
「考えている自分から始めよう」
と言ったデカルトさん。

xy軸で言うところの
(0,0)地点を
発見したのですね。


「神の世界の事はわからない」
と、カントさん。

人間の認識(理性)の範囲の中で
やって行こうよ
と、言いました。


カントさんを思想的に
受け継いだヘーゲルさんは、
イケイケです。


人間の理性だって
たいへんなもんやでー!

歴史だって動かすでーー!!

フランス革命見ろや!

と、吠えておられます(^^)


このへんまでは、
神を認める派ですね。
でも、人間だってたいしたもんやで派(^^)



そしてついに!

武闘派の登場です!


私の尊敬する、
ニーチェ先生です(^^)


ニーチェ先生、
「ありもしない真理で
 人間を縛るな!」と
たいへん怒っております。


自分自身の足で立て!

キリスト教の奴隷になるな!


原罪から解放されて、
自分の人生を生きよ!


いいですねえ~

さすがニーチェ先生(^^)

(^^)//パチパチパチ



フーコーさん(フランスの哲学者)も
怒ってますね。

「すべての真理が神の国(イデア界)に
 あるというなら、
 我々人間はカスばかりの地上世界で
 いつも罰せられて(原罪)生きるのか!?」と。

(^^)//パチパチパチ


フッサールも言いました。

キリスト教が言うような
完全な客観性を追うのはやめよう。

完全な客観性など無い。
「間主観性」(主観の共通部分)で
いいじゃないか、と。


この間主観性を確定するために、
人が議論する。
それでいいじゃないか、と。

(^^)//パチパチパチ



「イデアのような実体があるのではなく、
 構造があるだけだ」
と、言った人もいます。



さて。


この「原罪」問題に、
最終的に決着を付けたのは
ダーウィンでした。


まあ、
アメリカには進化論を
否定している州もあるようですが。


人間は、「神が作った」のではなく
「猿から進化した」のです。


当然、「原罪」など無く、
神と人間の間に
特別な関係などありません。

(^^)//パチパチパチ








西洋の哲学の歴史は
プラトン・アリストテレス・キリスト教の
抑圧から脱出するための
歴史だったような気がします。


だから、
哲学者の目指す人間像と言うのは、
抑圧を抜け出して自ら
運命を切り開いていく
強い人間でした。


まあ、
マルクスなんかの場合は
運命を切り開くというのを
階級闘争にフォーカスしすぎて
おかしなことになってしまいましたが。


話はそれますが、
マルクス主義者や労働組合が
闘って勝ち取ってきた労働者の権利を、
バブルの崩壊以降
どんどん吐き出している気がします。

とてもざんねんですね。



そもそも
ユダヤ教の改革者だったイエスは、

「ユダヤ教徒だけしか救われないとか、
 神の愛はそんな偏狭なものじゃないよ。
 神の愛はユダヤ教を信じるものの上にも
 信じないものの上にも
 平等に降り注ぐのさ」

と言ったのだから、

キリスト教徒もイエスの教えに
忠実に立ち返って欲しいですよ。



ところで。

哲学というものは
ひとりの哲学者に
着目して
深く学ぼうとすると
気が狂いそうになります。


哲学者の著作と言うのは、
ただの自分の思想の
記述ノートですね。


たぶん
読者に親切にわかりやすく
書こうとか

自分の思想を
みんなに理解して
もらおうとか

そういう意識は
無いように思います。


やたらと
小難しく書く。


サルトルとか
あんなに難しく
書く必要があったのか。


もちろん
ニーチェ先生のような
例外もありますが。


しかし、
今回のように
広く浅く
ざっと見て行くのは
とても楽しいですね。



        (完)






よろしければ
ポチッと応援お願いします( ̄(エ) ̄) 💥
ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村








2018(平成30)年8月6日(月)









さいきんはキャンプ場通いが続き、
マンガもBライフも
あまりやっていません。



だから、

こういう時は
トンデモ歴史ですよ(^^)


今回は、
キリスト教の圧力と
哲学者たちの闘いです。


さて。


なぜこんなにも
キリスト教は人を
縛るのでしょうかね?


キリスト教の縛りは
大きく分けると
2つになります。


ひとつめは、
人は真理に到達することが
できない、とか。


プラトンのイデア論の
流用なのですが、
真理は神の世界※1(イデア界)にあり、
人間には到達することができない、
らしいです。

※1 ニーチェ先生の言う「背後世界」



ま、イデアなんて
ありませんけどね。

人間は、イデアのような「永遠」が
好きですけど。


例えば、
「これが「イス」だと分かるのは、
 イスのイデアがあるからだ」と
プラトンは言いますが、


しかし、
プラトンと同時代の日本人を
連れてきて同じものを見せても、
「イスだ」とは分かりませんよ。
イス知らないんだから。


同様に
プラトンの前に畳を置いて
「これは何だ?」と
訊いてみても、
プラトンには「畳のイデア」を
感ずることはできません。


イデアは文化によって制約される。

そんなものはイデアでもなんでもありません。

まあ、ギリシャ文化圏から
出たことが無かったプラトンには
分からなかったでしょうけれども。


イデアのように
背後に隠れたものが
必ずしも貴いわけではないし、

本質は
神の側(がわ)でなくあくまでも
人間の側にある。
そう考えたいですね。


神や永遠やイデアは、
神や永遠が大好きな人間が
生み出したものだと思います。


話それました。







2つめは、「原罪」ですね。


「原罪」というのは、
アダムとイブが犯した罪は、
子孫の我々すべてが
引き受けなければならない、
とかいうこと。


お前に代わって
原罪の罪をつぐなってくれた
キリスト様を信じて
洗礼を受けなさい、とか。


真理は「神の側」にあり
人は自らの力では真理に
到達することができない。

だから、
真理が書いてある
「聖書」だけを
ただひたすら信じなさい、とか


人は生まれながらに
罪を負っているから、
つぐなうためには
キリスト教に入信しなさい、とか。


キリスト教は、
人を精神の奴隷に
しようとしているんですかね?


まあ、
そうしたほうが
神と人の間にある人たち(教会)
にとっては都合がいいんでしょうが。


とくに、
「原罪」はヒドイですよ。
祖先の犯した罪は
子孫全体の罪だから
つぐないなさいとか、

そんな宗教はちょっと
聞いたことがありません。


たとえば
似たようなので
儒教の九族誅滅とかが
ありますが、

あれは
種を根絶やしにして
恨みを残さないためだし。



おなじく
祖先の墓を破壊したり
するのは

儒教はもともと
祖先崇拝の宗教だから、

墓を壊して祖先崇拝を
させなくするというのは、
同じ儒教の価値観を持つ
人に対しては

恐ろしい精神的打撃に
なるわけです。


キリスト教の原罪とは
根本的に違いますね。



話はそれますが、
大英帝国時代の植民地支配や搾取を
批判されると

イギリスの若者が
「なぜジーサンバーサンたちが
 犯した罪を
 俺たちが償わなきゃ
 いけないんだ!」
などと言ったりしてますが、

キリスト教的には
間違った考え方かもしれません。

キリスト教では
親の罪は子が償うわけですから、

その意味では
ジーサンバーサンたちが犯した
植民地支配などの「原罪」は
子孫の孫たちが償わなければ
ならないような気がします。

キリスト教徒なら。


私がキリスト教から感じる
重圧というか圧力を
とうぜん西洋の人たち
(というかキリスト教徒)も
感じていたようで

いろんな方々が
重圧からの解放を目指しました。



人間の反撃!

れんぞくこうげき!!

        (つづく)







よろしければ
ポチッと応援お願いします( ̄(エ) ̄) 💥
ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村








↑このページのトップヘ